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大阪地方裁判所 昭和24年(行)127号 判決 1964年6月19日

原告 西村武夫 外一名

被告 大阪府知事 池田市農業委員会

主文

一、池田市農地委員会が昭和二五年四月一二日別紙第三目録記載の土地について定めた買収計画及び大阪府農地委員会が同年六月二九日になした右買収計画に関する原告西村の訴願を棄却する旨の裁決を取り消す。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、原告宮内と被告ら間に生じた訴訟費用は同原告の負担とし、原告西村と被告ら間に生じた訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの連帯負担、その余を同原告の負担とする。

事実

第一、申立

(原告ら)

一、池田市農地委員会が昭和二四年四月三〇日別紙第一及び第二目録記載の土地について定めた買収計画ならびに昭和二五年四月一二日別紙第三目録記載の土地について定めた買収計画をいずれも取り消す。

二、大阪府農地委員会が昭和二四年六月二八日になした、第一土地の買収計画に関する原告西村の、第二土地の買収計画に関する原告宮内の各訴願を棄却する旨の各裁決ならびに昭和二五年六月二九日になした第三土地の買収計画に関する原告西村の訴願を棄却する旨の裁決をいずれも取り消す。

三、訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決を求めた。

(被告ら)

本案前の申立として

一、原告西村の第三土地に関する訴えを却下する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求め、本案につき

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求めた。

第二、請求の原因

一、被告委員会の前身である池田市農地委員会(以下市農地委という)は、自作農創設特別措置法(以下自創法という)三条一項一号の規定にもとづき、

(イ)  昭和二四年四月三〇日原告西村所有の別紙第一目録記載の土地(以下「別紙……目録記載の」を省略し、第一土地あるいは第一の(イ)の土地というように適宜略称する。)及び原告宮内所有の第二土地について、

(ロ)  昭和二五年四月一二日原告西村所有の第三土地について、

それぞれ買収計画を定めた。原告らは各所有地について異議の申立をしたが却下されたので、さらに訴願をしたが棄却の裁決があり、(イ)の買収計画については昭和二四年八月二〇日頃、(ロ)の買収計画については昭和二五年七月一二日その裁決書を受領した。

右買収計画は、いずれも樹立のときの事実関係にもとづき定められたもので、遡及買収計画ではない。このことは、買収令書に自創法三条及び一五条の規定による買収を行う旨記載されていることからも明らかである。

二、ところで、右買収計画には次のような違法がある。

(一)  本件土地は農地でも小作地でもない。

(1) 第一の(ロ)の土地及び第三土地は戦時中に土砂を採掘したあとであつて、第三土地は買収計画当時耕作されていなかつた。特に第三の(ト)(チ)(リ)の土地は約三〇度の傾斜地で耕作に適せず、現在に至るまで荒地のままである。また、第一の(ロ)の土地は土砂採掘のため地盤が低くなつており、一面の水溜りで耕作の困難な土地である。

第二の(二)の土地は現在に至るまでぶどう畑であり、同(ホ)の土地のうち西側幅約六間の部分は梅林であつた。これらのぶどう、梅は施肥、管理などもされておらず、作物として収穫できるほどのものでもない。

その余の本件土地は買収計画当時一応耕作されていたが、近隣の者十数名が戦時中に無断で開墾し、以来家庭菜園として利用していたにとどまり、自創法にいう農地にはあたらない。

第一の(イ)(ロ)、第二の(ニ)(ホ)の各土地の本件買収計画当時の耕作者は被告ら主張のとおりであるが、いずれも無権原で耕作していたもので、小作料の定めもなく、これを受領した事実もないから、右耕作者らとの間に小作関係はない。第一の(ハ)の土地を被告ら主張の者が耕作していたことは否認する。右土地の大部分及び第二の(ホ)の土地の一部合計約四五〇坪は角間イシと田中一雄の両名が耕作していたが、本件土地につき後記用途変更の許可後、離作補償として各一万円(計二万円)を支払い、昭和二三年一二月中に離作引渡を受けた。

(2) 本件各土地は、一〇〇番地の一、一〇五番地の一、二九〇番地の各残地とともに一区画をなし、もと地目は畑で、中島緒恵、同得恵、同正子の三名が共有していた。ところが、同人らは昭和二二年八月大阪府知事(以下府知事という)に対して右一画の土地につき農地調整法(以下農調法という)六条(昭和二一年法律四二号による改正後のもの。以下同じ。)の使用目的変更許可の申請をし、市農地委、大阪府農地委員会の現地調査を受けて、農地でないとの認定のもとに、同年九月大阪府指令農農地八三九号、同年一〇月同九五五号により同知事の使用目的変更許可を受け、昭和二三年六月二二日地目を宅地に変更して、同年一〇月二日その旨の登記を了した。原告らは、同月八日前記緒恵ら三名から右土地を買い受け、同日その旨の登記を了したのであるが、その後土地利用者と離作交渉をすすめる一方、府知事の建築許可を受けて未開墾地や前記角間及び田中から明渡を受けた土地の一部に家屋の建築をはじめ、買収計画当時にはすでに二戸を完成し、三戸を建築中であつた。市農地委は、原告らが買い受けた前記土地のうち右五戸の敷地部分のみを除外して本件土地の買収計画を定めたものであるが、右に述べたとおり原告らの買受土地は、現に建物敷地となつている部分だけでなく、その余の部分も宅地としての要素をそなえているから、本件土地は宅地であつて、農地ではない。

なお、府知事は昭和二四年四月前記使用目的変更許可を取り消したが、右許可にもとづいて地目が宅地に変更され、同知事において家屋の建築許可を与え、土地所有者において休閑地利用者に相当の補償を支払つて家屋建築に着手したのちになつて、右使用目的変更許可を取り消すことは許されないから、右取消処分は無効である。

(二)  本件土地は自創法五条五号により買収除外の指定をなすべき土地である。

三、本件買収計画には右のような違法があるから、取り消されるべきであり、これに関する原告らの訴願を棄却した裁決もまた違法で、取り消されるべきものである。

四、原告西村の第三土地に関する訴えの適法性について

(一)  第三土地については、昭和二四年四月三〇日に一旦買収計画が定められたが、原告西村の異議の申立を認容して同年六月七日取り消され、昭和二五年四月一二日再び本件買収計画が定められたものである。従つて、同原告が本件訴えを提起した昭和二四年九月一四日当時には右土地の買収計画は存在せず、右訴えは権利保護の要件を欠いていたといえるが、その係属中に二回目の買収計画とこれに対する訴願裁決がなされたことにより右要件は充足された。なお、昭和二六年一二月一三日付準備書面にもとづく原告の主張は、さきの買収計画及び訴願裁決の取消しを求めていた従来の請求の趣旨を補正し、二回目の買収計画とこれに対する訴願裁決の取消しを求めるものである旨を明らかにしたものであつて、被告らが主張するような新訴の提起ではない。

(二)  かりにこれが新訴の提起にあたるとしても、次に述べるとおり出訴期間内に訴えを提起できなかつた正当な事由があるから、右訴えは適法である。すなわち、被告らは、昭和二四年一二月三日の口頭弁論期日において、第三土地についてもさきの買収計画に対する原告西村の異議の申立を却下し、訴願を棄却してその裁決書を同原告に送達した事実を自白しておきながら昭和二五年八月二一日付準備書面で右自白を撤回し、第三土地に二回目の買収計画を定め、これにもとづいて買収した旨を主張するに至つた。同原告の訴訟代理人はこれによつてはじめてさきの買収計画の取消しと、二回目の買収計画(本件買収計画)の定められたことを知つたのであるが、当時すでにその出訴期間は経過してしまつていた。このような場合は行政事件訴訟特例法五条にいう「正当な事由」により出訴期間内に訴えを提起することができなかつたときにあたるから、右訴えは適法である。

五、よつて、本件買収計画と訴願裁決の取消しを求める。

第三、被告らの答弁ならびに主張

一、本案前の主張(第三土地関係)

原告西村の第三土地に関する訴えは、出訴期間経過後に提起された不適法な訴えである。すなわち、右訴えは昭和二六年一二月一三日付原告準備書面による訴えの変更によりはじめて係属したのであるから、同日その提起があつたものとみるべきである。ところが、右土地の本件買収計画に関する訴願裁決書の謄本は昭和二五年七月一二日同原告に送達されているから、右訴えは出訴期間経過後に提起されたことになる。

原告西村は、右準備書面による主張は請求の趣旨の補正にすぎないと主張するが、右主張は、第三土地がたまたま訴状別紙の目録に記載されていたのを奇貨として、出訴期間に関する法の定めを不法不当に拡大解釈するものである。

同原告は行政事件訴訟特例法五条にいう正当な事由があるとも主張するが、同条三項但書にいう正当な事由とは、天災、地変等の不可抗力的な原因の場合をさすのであつて、同原告の一般的な一身上の事由はこれにあたらない。

なお、第三土地について同原告主張のとおりさきの買収計画が取り消されたことは認める。

二、本案の答弁ならびに主張

(一)  請求原因一の事実は、本件買収計画が遡及買収計画でないとの点を除いて、これを認める。市農地委は、昭和二〇年一一月二三日現在の事実にもとづけば本件土地は不在地主である中島正子所有の小作農地であると認めて、自創法六条の五、三条一項一号により本件買収計画を定めたものである。

(二)  請求原因二の(一)の事実中、本件土地はもと畑であつたが、これを含む原告ら主張の一画の土地につき府知事の使用目的変更許可があり、宅地に地目変更されて、原告ら主張の各登記がなされたこと及び右許可が本件買収計画前に取り消されたことは認めるが、その余の事実は争う。本件土地の前所有者は正子であり、右許可を受けたのも正子である。右許可を取り消したのは、正子が右許可申請の際、実際には小作人がいたのに、いない旨虚偽の記載をした申請書を提出し、かつ転用の理由として引揚者住宅を建てると記載しておきながら、実際には自分で転用しないで原告らに前記土地を譲渡し、原告らがその潰廃に着手したことによるもので、府知事は昭和二四年四月正子に対して右許可の取消処分をした。

(三)  本件土地は、正子の先代祥雅の父亦平が戦前に附近の農民十数名に対して賃料を全部で二五円と定めて賃貸し、右農民らにおいてこれを耕作してきた土地である。賃料は、戦争末期に食糧難となつてから亦平の要望で収穫物の一部を現物で納め、昭和二二年度まで支払つている。昭和二〇年一一月二三日当時には別紙小作関係一覧表記載のものらが賃借人として耕作を続け、地目が宅地に変更されたのちも現況は従前と同様畑として耕作されていた。もつとも、右使用目的変更許可を受けた土地のうち本件土地以外の部分には、本件買収計画前に被告ら主張の五戸の家屋が建築せられたことは認める。

(四)  請求原因二の(二)の事実は否認する。かりに近い将来宅地化するのが相当な農地であるとしても、自創法五条五号による府知事の指定がないから、原告らの主張は理由がない。

第四、証拠<省略>

理由

(本案前の判断)

被告らは、原告西村の第三土地に関する訴えは出訴期間経過後の不適法なものであると主張するので、この点について判断する。

第三土地については昭和二四年四月三〇日に定められたさきの買収計画が、原告西村の異議の申立にもとづいて同年六月七日に取り消され、本件買収計画は昭和二五年四月一二日に定められた二度目のもので、本件訴願裁決はこれに対するものであることは当事者間に争いがない。同原告は昭和二四年九月一四日に提起した本訴において最初はさきの買収計画とこれに関する訴願裁決の取消しを求めていたが、その係属中の昭和二五年四月一二日に本件買収計画が樹立せられ、同年六月二九日に本件訴願裁決があつたため昭和二六年一二月一三日付原告準備書面(同日受付、同日午後一時の準備手続期日において陳述)にもとづき請求の趣旨を本件買収計画とこれに関する訴願裁決の取消しを求めるとの旨に改めたことは記録上明らかである。

原告西村は、請求の趣旨を右のとおり改めたのは訴えの変更ではなく、取消しを求める行政処分を明確にするため請求の趣旨を補正したにすぎないと主張する。しかし、さきの買収計画と本件買収計画は行政処分としては別個のものとみるほかはなく、本件訴え提起当時に同原告の訴訟代理人がさきの買収計画の取消しを知らず、かえつて訴願棄却の裁決があつたものと考えていたことは、訴状の記載からも明らかであり、右訴えはさきの買収計画及び裁決の取消しを求めるために提起されたものと認められる。ところが、さらに考えてみると、同原告は右訴え提起の当初においても、さきの買収計画に固有の手続上の違法があるとしてその取消しを求めていたのではなく、第三土地は自創法にもとづく買収の実体上の要件をそなえない土地であると主張してその取消しを求めていたのであつて、さきの買収計画のみにこだわることなく、要するに第三土地に買収計画を定めることが違法である旨を主張し、右土地について買収手続を進行して買収処分がなされることを防止するために本訴を提起していたものであると認めるに難くない。そして、同原告本人が、本件買収計画の樹立を知つたのちも、右訴えを取り下げることなく、かえつて本件買収計画に対して異議の申立をし、その却下決定に対してさらに訴願しているところからすれば(この事実は当事者間に争いがない)、同原告が本件買収計画樹立後も右訴えを維持していたのは、もはやさきの買収計画及び裁決の取消しを目的とするものではなく、その実質において、本件買収計画の樹立後はこれが取消しを求めるものに、また、本件訴願の裁決後はこれが取消しを求めるものに移行していたものと解するのが相当である。このような場合には、本件買収計画及び裁決の取消しを求める旨請求の趣旨が明確にされたのが訴願裁決書送達の日から一箇月以上を経過したのちであつたとしても、右請求にかかる訴え自体はその出訴期間内にすでに提起されていたのと同視すべきであつて、右訴えは出訴期間の要件を欠くものではない。

(本案の判断)

第一、第一及び第二土地に関する訴えについて

一、市農地委が昭和二四年四月三〇日原告西村所有の第一土地及び原告宮内所有の第二土地について自創法三条一項一号の規定にもとづく買収計画を定めたことは当事者間に争いがない。ところが、被告らは右買収計画を遡及買収計画であると主張し、原告らはこれを争うので、まずこの点について判断する。

成立に争いのない甲一、二号証、五号証、一二、一三号証、乙九号証の二及び原告西村本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、右土地は遡及買収の基準日である昭和二〇年一一月二三日現在不在地主である中島緒恵、中島得恵、中島正子の三名が、不動産登記簿上は同人らの先代中島祥雅の名義で、これを共有していたが、昭和二三年一〇月八日第一土地を在村地主である原告西村に、第二土地を同じく在村地主である原告宮内に譲渡したため、市農地委において自創法六条の五の規定により職権で右土地を右基準日現在の事実にもとづき買収することとし、本件買収計画を定めたものと認められる。右認定を左右しうるに足る証拠はない。

原告らは買収令書に自創法三条及び一五条による買収を行う旨記載されているから遡及買収ではないと主張するが、同法六条の二または六条の五による遡及買収の場合も、買収要件の存否を定める時点を昭和二〇年一一月二三日にさかのぼらせるというにとどまり、自創法三条の規定にもとづいて農地を買収するものであることには変りがないから、買収令書に同法条による買収を行う旨記載されていても、その記載から遡及買収でないとすることはできない。また遡及買収である旨の記載は買収令書の記載事項として法の要求するところではないから、本件買収令書にその旨の記載がなくても本件買収を遡及買収と認める妨げとならない。

なお、被告らは本件土地がもと正子の単独所有であつたと主張し、本件買収計画は基準日当時の所有者を正子一人と誤認して定められたものと認められるが、右のような所有者の誤認は、原告らに対する本件土地の買収要件に影響するものではないから、本件買収計画の取消原因とならない。

二、そこで、第一、第二土地の右買収計画に違法があるかどうかの点について判断をすすめる。

(一) 本件土地は農地でも小作地でもないとの原告らの主張について

本件買収計画樹立の当時第一の(イ)(ロ)、第二の(ニ)(ホ)の各土地を被告ら主張の者らが耕作していたことは当事者間に争いがない。

証人森田久三郎の証言及び原告西村本人尋問の結果により真正に成立したと認められる乙七号証、証人畑中亀吉、同目賀田柳生(一回、後記信用しない部分を除く)、同細見七三郎、同中池正雄、同岸本七三郎、同畑中芳三郎、同森田勝治、同山田朝和、同福井万次郎、同森田久三郎の各証言、本件土地の検証(一、二回)の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次のとおり認められる。

前記緒恵、得恵、正子の先々代であり、本件土地につき賃貸を含めた包括的な管理権を有していた中島亦平は、昭和の初め頃に、第一ないし第三土地を森田千太郎を通じて附近の農民約一〇名に対し、賃料を一括して年二五円と定めて耕作の目的で賃貸した。第一及び第二土地は被告ら主張の小作人らの各先代が区分して借り受け、当時これを開墾して耕作を開始した農地である。賃料は右千太郎またはその子久三郎が全部とりまとめて亦平に支払い、戦時中に食糧難となつてからは、これにかえてさつまいも、大根等の収穫物を現物で納めていた。前記基準日当時には、第一及び第二土地のうち本件買収後売渡を留保されている部分(以下売渡留保地という)を除く部分は、被告ら主張の小作人らがそれぞれ先代の地位を承継して賃借人として耕作を続け(ただし山田朝和はその先代が耕作を継続)、右売渡留保地のうち第二の(ホ)の土地の北東部から第二の(ニ)の土地にかけて細長く突出しているてい形の部分は非農家の氏名不詳者が亦平の承諾のもとに右森田千太郎ないしは久三郎から転借して耕作していた。売渡留保地中その余の部分は、亦平が戦時中に当時の耕作者から返還を受け、妹の角間イシ及び警察官の田中一雄に賃貸借ないしは使用賃借により貸し与え、その後右イシの部分も田中が亦平の承諾を得て耕作権を譲り受け、右基準日当時には同人が一人で耕作していた。当時第二の(ホ)の土地とこれに隣接する第一の(ハ)の土地の北端の一部はぶどうの果樹園として肥培管理され、その余の部分はさつまいも、大根、豆類等の栽培されている畑であつた。第一の(ハ)、第二の(ホ)の各土地には数本の梅の古木があつたが、観賞用梅林というものでもなければ、右土地の耕作を妨げるほどのものでもなく、その下地の耕作者がこれを肥培管理してわずかな収穫をあげているにすぎなかつた。

第一の(ロ)の土地は現在では湿地となつているが、それは買収後附近に家屋が建ち悪水が落ちてくるようになつたためであつて、昭和二七年九月三日の検証期日当時にはなお豆類が栽培されていた。その余の第一及び第二土地は昭和三七年三月一二日の検証期日当時にも果樹園または畑として耕作されていた。

以上のとおり認められる。甲一五号証の一ないし三、同号証の五ないし九、乙一号証の一、二(農調法六条の規定による許可申請書、現況証明書、同許可承認書、同許可の決裁文書)の各記載及び証人目賀田柳生(一、二回)、原告西村本人の供述中には、右土地は耕作されておらず、たとえ耕作されていても不法占拠である旨の部分があるが、これらは前記採用の各証拠及び成立に争いのない乙三号証(市農地委作成の副申書)に照らして信用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。すると、第一及び第二土地は右基準日当時農地であり、かつ小作地であつたと認められる。

(二) 次に自創法六条の五により遡及して買収したことが違法でなかつたかを判断する。

(1) 使用目的変更許可のあつた点について

原告らは右基準日以後である昭和二二年九月と一〇月の二回にわけて右土地につき府知事の使用目的変更許可があり、その後地目も宅地に変更され、その旨の登記も了していたと主張し、中島正子に対して右許可があり、地目変更とその登記があつたことは被告らも認めるところである。しかしながら、右許可のあつた農地であつても、これにもとづいて現実に潰廃されるに至つていないときには、買収計画を定めても違法ではないと解すべきである。なぜなら、この許可はこれを受けた者に対して農地の使用目的変更禁止の制限を解除するものであるにとどまり、この許可があるというだけで、その小作関係が当然に消滅し、あるいはいわゆる休閑地利用関係に転化するものでもなければ、農地が当然に自創法、農調法にいう農地としての性格を失うに至るものでもないからである。農調法九条(本件許可当時施行中のもの)によれば、右許可のあつた場合、地主は土地の使用目的の変更を理由に賃貸借の解約または更新拒絶をすることができるが、そのためには市町村農地委員会の承認(ただし昭和二一年法律四二号農地調整法の一部を改正する法律附則三項、昭和二二年法律二四〇号農地調整法の一部を改正する法律附則六条一項により昭和二四年一二月三一日までは都道府県知事の許可)を受けなければならず(昭和二二年一二月二六日施行の同年法律二四〇号による改正前は合意解約の場合はその限りでなかつたが、右改正によりその場合も含まれることになつた)、右許可を受けないでした解約等は無効とされるから、地主は使用目的変更許可を受けたというだけでは無条件で小作地の引き揚げができるわけではない。右許可は、当該農地が農調法、自創法にいう小作地であることに直接の影響を及ぼすものではないのである。右土地が、その土地及び周囲の状況から客観的に判断して近く土地使用の目的を変更することが相当であると認められる場合は別として、右許可があるというだけで小作農地の買収を禁止する旨の法令の定めもなく、かえつて同法六条の二及び六条の五は、遡及買収の基準日である昭和二〇年一一月二三日以後に耕作者、所有者あるいは所有者の住所に変動があつた場合ないしは農地が潰廃された場合に、これらの変動が法定の許可を経ている等、形式的には合法なものであつて、自創法の趣旨からみて実質的に不当なものであるとき、すなわち同法六条の二、二項各号(六条の五、二項)に定める事由のないときは、市町村農地委員会において、適法な申請があれば必ず遡及買収計画を定めなければならず、申請がないときでも職権でこれを定めることができる旨を規定しているのであつて、右法条の趣旨とするところからみても、単に使用目的変更許可があつたにすぎない小作農地を買収することはなんら違法ではないというべきである。してみると、買収の基準日以後に使用目的変更許可があつたとしても、遡及買収計画を定める妨げとなるものでないことは、多言を要しないところである。また、本件の場合は、すでに地目が宅地に変更せられていたことは前示のとおりであるが、前認定のとおり現実に耕作が継続されていた以上、右結論を左右するに足るものではない。

それのみならず、右使用目的変更許可が本件買収計画樹立前にすでに取り消されたことは当事者間に争いのないところである。原告らは右取消処分は無効であると主張するが、右主張は次のとおり理由のないものである。

(イ) まず、右取消処分に処分庁みずから処分の取消しができるほどのかしが存在したかどうかの点について判断する。

被告らは、右許可処分の取消理由として、正子が許可申請書に小作人はいない旨虚偽の記載をした点をあげる。しかし、成立に争いのない甲一五号証の一ないし九によると、本件許可は中島正子が単独で申請したものであるが、府知事は、本件土地はすべて自作地であり、他に耕作者はいないとの旨の申請書の記載にかかわらず、職権で調査をし、不在地主の所有地で、休閑地として利用されているが、収穫の不定な土地であるとの認定のもとに、正子の右申請を許可したこと、その際第一の(ハ)、第二の(ニ)(ホ)の各土地については、耕作者の立場を考慮し、その明渡承諾後に用途変更をなすべき旨の条件を付すべきか否かの点についても検討が加えられたことが認められる。すると府知事は、申請書の右記載が虚偽であることを知りながら、あえてその調査したところに従つて許可を与えたものというべく、右調査の結果に事実と相違するところがあり、許可を与えるか否かの裁量に錯誤があつたとしても、右記載が虚偽であつたとの理由で処分庁みずから右処分を取り消すことは許されない(最高裁昭和二八年九月四日判決、民集七巻九号八六八頁参照)。

被告らは、次に、正子が自分で転用せず、原告らに本件土地を譲渡して原告らに潰廃させようとした点を主張する。そして、原告西村本人の尋問の結果によれば、原告らは本件許可申請の前から前記亦平と本件土地の売買の交渉をすゝめており、右許可の申請書も建築設計業を営む原告西村が正子のために作成したもので、正子は許可申請の当初から、許可後本件土地を原告らに売り渡し、原告らに潰廃させる意図であつたことが認められる。しかし、このような意図は許可申請者の内心の意図にすぎないばかりでなく、農調法六条の使用目的変更許可は対人処分であつて、対物処分ではないから、潰廃前に当該農地を譲り受けた者にその効力が及ぶわけではなく(潰廃後の譲受人のときは使用目的変更の問題を生ずる余地がない)、許可処分の時を基準として判断すると、正子が右のような意図をもつていたというだけで、処分を取り消さなければならない公益上の必要があるとは認められない。従つて、これを理由に右許可処分を取り消すことは許されない。

(ロ) しかしながら、一旦適法に成立した行政処分であつても、その後の事情の変更により処分の効果を存続させることが公益に適合しなくなつたときは、処分の効果を将来にむかつて消滅させるため、これを撤回できることはいうまでもない。本件の場合、正子が共有者である緒恵、得恵とともに、許可後本件土地を原告らに売り渡したことは前認定のとおりである。前示甲一五号証の二及び六によると、正子は右許可申請書には、転用目的として、戦災者、引揚者、復員者用復興住宅一戸約一二坪のものを合計二二戸建築する旨記載していたことが明らかであるのに、正子はそのような住宅をなんら建築することなく、その後原告らにおいて買収除外地に五戸の家屋を建築したのみで(右五戸が戦災者、引揚者、復員者用復員住宅であると認めうる証拠はない。)、本件土地についてはなお建築に着手するに至つていなかつたことは当事者間に争いがない。そして、本件土地の検証(一、二回)の結果によると、右五戸の敷地部分は右許可のあつた土地のごく一小部分であつて、右五戸が建築されたからといつて、右土地が全体として宅地化されたものとすることはできないことが認められる。右事実に原告西村本人の尋問の結果を総合すると、正子は本件土地を右許可にもとづいて潰廃することなく、許可当時の現状のままこれを原告らに譲渡したことが明らかである。ところで、使用目的変更許可のあつた小作農地については、土地所有者は農調法九条による市町村農地委員会の承認を受けさえすれば、土地使用目的の変更を理由に賃貸借の解約もしくは更新拒絶をすることができ、その反面として賃借人が右許可のない土地に比較して不安定な地位におかれることは否定できなく、このような状態が長い期間にわたつて存続することは農調法の趣旨とするところにそわないものというべきである。しかも、昭和二十三、四年当時は、自創法により、耕作者の地位を安定させ、その労働の成果を公正に享受させるために自作農の創設が急速かつ広汎におしすすめられていたことを併せ考えると、前記のように緊要な住宅建築を理由として、農地の使用目的変更許可を受けていながら、これにもとづいて農地を潰廃することもなく、これを他に譲渡したときには、右許可処分の効力を将来も維持することより以上に、耕作者の地位の安定をはかるべき公益上の必要があると解するのが相当である。

それゆえ、大阪府知事の右許可取消処分は、撤回処分としての限度において適法であり、これを無効とする原告らの主張は理由がない。

以上のとおりであるから、右許可処分のあつたことを理由に、本件買収計画を違法であるとする原告らの主張は理由がない。

(2) 田中一雄が耕作していた部分について

証人畑中亀吉、同目賀田柳生(一回)の各証言及び原告西村本人の尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、前記田中一雄は警察官であつたところ、原告らは、本件土地買受け後間もなく、右田中に対して同人が耕作していた前記認定の土地の明渡しを求め、原告西村において田中の勤務先の警察署長にまで話しをもちだして、昭和二三年末頃、二五、〇〇〇円の離作料を支払つて原告らとの小作関係を合意解約し、右土地の離作引渡しを受けたことが認められる。しかし、前認定のとおり第一、第二土地のその余の部分はすべて賃料を徴収して賃貸されていたこと及び田中に対して二五、〇〇〇円もの離作料が支払われた事実に照らすと、田中は有償で右土地を賃借していたものと認めるのが相当であるから、右合意解約は府知事の許可を受けない限りその効力を生じないものである(当時施行中の農調法九条三項、五項昭和二二年法律二四〇号附則六条一項)。右土地につき使用目的変更許可があり、地目が宅地となつていたとしてもこのことに変りがないのは、さきにも述べたとおりである。ところが、右合意解約につき市農地委の承認があつたと認められる証拠はなく、かえつて右のように使用目的変更許可があり、地目が宅地に変更されていた事実等に照らすと、原告ら及び右田中は府知事に右許可の申請をしておらず、その許可もなかつたと認められる。すると、右賃貸借の合意解約はその効力を生じないから、これをもつて、自創法六条の五、二項により職権遡及買収の場合に準用される同法六条の二、二項一号にあたる事由があるとすることはできない。

次に、同法六条の二、二項二号は、基準日の小作農またはその相続人が遡及買収の請求をすることが信義に反する場合は遡及買収をすることができない旨を定めており、この規定は同法六条の五、二項により職権遡及買収の場合に準用されるので、右のように離作料を支払つて離作引渡を受けた土地について遡及買収したことが、右にいう信義に反する場合にあたるかどうかの点について、さらに判断をすすめる。

原告らが右離作引渡を受けた当時は、まだ府知事の右使用目的変更許可が取り消されておらず、地目も宅地に変更されていたこと及び田中に離作料として二五、〇〇〇円が支払われたことは前認定のとおりである。しかし、前示乙三号証(市農地委の副申書)及び被告ら主張の理由で右許可が取り消された事実によると、前認定のとおり正子のために原告西村が作成した許可申請書に本件土地はすべて自作地であり、他に耕作者はいない旨の虚偽の記載があつたことが市農地委の小作関係調査を誤まらせる一因となり、ひいては右許可をすべきかどうかについての府知事の裁量に錯誤を生ぜしめる一因となつて右許可がなされたものと認められ、このような方法で右使用目的変更許可を得たうえ、右土地の現況は農地であるのに地目を宅地に変更し、田中に対する離作交渉にのぞみ、警察官である田中の所属警察署長にまで話しをもち出して離作引渡を受けるに至つた事実を併せ考えると、右離作料の額が成立に争いのない乙四、五号証の各二により認められる右土地の買収の対価坪当り約三円及び自創法一三条三項による報償金坪当り約九三銭の合計坪当り三円九三銭に比して十数倍にも及ぶ金額であるとしても、なお右土地につき遡及買収をすることが信義に反するということはできない。

すると、市農地委が自創法六条の五の規定にもとづき第一、第二土地につき遡及買収計画を定めるべきものと認めたのは相当である。

(三) 自創法五条五号に関する原告らの主張について

自創法五条五号にいう「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」であることは、同法条が同法三条の例外規定であることからみて、取消訴訟においても原告らに主張、立証の責任があると解するところ、原告らはこれについて具体的事実にもとづく主張立証をしない。本件土地が小作農地でないことの理由として原告らが主張するところも、なお右土地が近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であることの主張としてはそれ自体理由のないものであり、右土地がそのような農地であることの立証もない。それゆえ、原告らの右主張は理由がない。

三、以上のとおりであるから、市農地委が原告ら所有の第一、第二土地を昭和二〇年一一月二三日現在の事実によれば、不在地主所有の小作農地であると認めて、自創法六条の五の規定にもとづき遡及買収計画を定めたのは適法であり、これを維持して原告らの訴願を棄却した大阪府農地委員会の裁決も違法ではない。

第二、第三土地に関する訴えについて

被告らは、昭和二〇年一一月二三日当時についても、本件買収計画当時についても、第三土地の小作人が何びとであつたかを具体的に主張立証しないから、第三土地の本件買収計画が遡及買収計画であると否とを問わず、小作地でないものを小作地として買収した違法があるものというほかはない。第三土地の本件買収計画は、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において取消しを免れないものであり、右買収計画を維持して原告西村の訴願を棄却した大阪府農地委員会の裁決もまた違法として取り消されるべきものである。

(結論)

そこで、原告らの請求のうち第一、第二土地に関するものは失当としてこれを棄却し、第三土地に関するものは正当として認容し、その買収計画及び裁決を取り消すこととして、訴訟費用の負担につき民訴八九条、九二条、九三条一項但書を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 前田覚郎 平田浩 井関正裕)

(別紙第一―三目録、小作関係一覧表省略)

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